手塚治虫 『ネオ・ファウスト』

                

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手塚治虫 漫画全集 全巻
                                                          画像引用元 : 手塚治虫って何が凄いの?
                                 http://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html



手塚治虫


漫画が好きな方であれば、この名前を聞いた事のない人は、恐らく皆無ではないでしょうか。
それだけ、手塚治虫の名前は知れ渡っている。

では、この手塚治虫の、生涯最期の作品は何か?
と、問われた時に、答られる人が、はたしてどれだけいるだろうか?

「漫画の神様」と称された手塚治虫は
『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』などを始め、数え切れない程の作品を世に生み出してきた。

その生涯の作品数は600作品以上。
原稿枚数は15万枚以上とされている。


「アイデアは、バーゲンセールをしてもいいくらいある。」と自身で語っていた通り
『マアチャンの日記帳』というデビュー作の4コマ漫画を始め、少女向けに発表された『リボンの騎士』
壮絶な近親相姦を描いた『奇子』、その他にも子供向けの絵本や、少年向け、青年向けの作品など
その作品のジャンルは多種多様である。

そして、仕事の速さも他の漫画家を圧倒しており
多い時には同時に7本の漫画連載を抱えていたほどである。

今回は、これだけ数多くの作品を残してきた手塚治虫の
意外と知られていない、生涯最期の作品をご紹介させていただきたいと思います。




手塚治虫 自画像
漫画の神様


ご存知の方も多いかと思いますが
手塚治虫は1989年2月9日に、60歳という若さでその生涯に幕を下ろしている。
(※ ちなみに、手塚治虫の命日にちなんで、2月9日は「漫画の日」と制定されている。 By.まんだらけ)

直接的な死因は胃癌
彼の身体は、自身も気づかぬ間に、徐々に病魔に蝕まれていたのである。

現代では、癌を本人に告知することは比較的スタンダードになってきてはいますが
この当時は、日本医療の慣習によって、本人には告知しないことが一般的だったようで
手塚治虫本人には、胃癌ではなく「胃潰瘍」と説明されていたそうだ。

1988年11月に中国上海で開催されたアニメーションフェスティバル終了後に倒れ
帰国と同時に『半蔵門病院』に入院となるが、その後も病院のベッドの上で漫画を書き続けていた。

この時、手塚治虫は3本の漫画連載を抱えていた。




手塚治虫 『ルードウィヒ・B』   手塚治虫 『ネオ・ファウスト』   手塚治虫 『グリンゴ』
『ルードウィヒ・B』 / 『ネオ・ファウスト』 / 『グリンゴ』


作風もジャンルも全く違う、上記の3作品を同時に連載していた。

そしてこの3作品全てが、今でも名作と絶賛される程に洗礼されたストーリー展開で
本当に神様にとりつかれているかのような、クオリティの高い作品なのである。

これを病院のベッドの上で書き上げていたというのだから、驚きである。

ただしこの3作品は、いずれも完結することなく
連載中に作者が亡くなってしまい未完となった「絶筆」という形で終わっている。

その中でも、手塚治虫の生涯最後に仕上げた原稿が
この3作品の中でも、特に最高傑作とも称される『ネオ・ファウスト』の原稿なのである。




ネオ・ファウスト 『坂根第一』
坂根第一、考える


時代は1970年代の学園闘争真っ只中の日本。NG大学には異変が起きていた。
過激化する学生運動、5人の学生の謎の焼死体、大学の近くではヘビなどの生き物が溢れかえるという事象があった。

一方、年老いた大学教授である一ノ関は、生命の秘密と宇宙の神秘を解き明かすことができずに絶望していた。
自らの人生をはかなんだ一ノ関教授は、大学内で自殺を図るが、そこへ女悪魔メフィストが現れる。

一ノ関は、生命の本質と宇宙の神秘を解き明かすために、自身を若返らせる契約をメフィストと交わす。

契約は、一ノ関が満足するまで、メフィストが彼の召使として快楽の生活に導くという内容であった。
・・・・・・もしそれを満たせば魂を譲り渡す、という条件のもとで。   (wiki より引用)


この作品のテーマを一言で表すならば『生と死』に集約できるのではないだろうか。

表現方法などは、作品それぞれで異なるものの
この『生と死』は、手塚治虫作品では時折、題材にされてるテーマでもある。

ストーリーを大きく分けると、第一部と第二部の2章にわけることができる。
第一部では、一ノ関教授助手の坂根との関係性に焦点を当てて話が進められ
第二部で、それを元に物語を展開していく構想であったと予想される。

この『ネオ・ファウスト』が、特に秀逸な点としてあげられるのが、第一部の前半と後半で
同時間軸の出来事が、別々の人物の視点から描かれている点に集約されるだろう。

最初はいまいち、言葉や言動の意味、因果関係等がわからないまま過ぎていったが
後半に別人物の視点から物事を捕らえる事により、謎が解き明かされ、ストーリーが1本に繋がっていくという
非常に緻密に張り巡らされた伏線が徐々に回収されていくストーリー展開は、圧巻の一言。




   
画面左:教授目線 / 画面右:助手目線


この表現方法は、手塚治虫の代表作である『火の鳥 異形編』でも見られていたり
近年では、アニメやゲームなどでも時々見かける手法ではありますが
これをこの時代に、これ程までのクオリティで表現している事こそが、漫画の神様と呼ばれる所以であろう。

そしてこの漫画では、手塚治虫からの「あるメッセージ」が隠されていると
まことしやかに囁かれていることがある。

それは、この漫画の主要キャラの1人『坂根第造』にスポットをあてる事によって
浮かび上がってくるのである。




ネオ・ファウスト 『坂根第造』
主要キャラ、坂根第造


ネタバレになってしまうので、ここでは深くは触れませんが
坂根第造は、主人公の育ての親として、この物語に深く関わっている。

ここで一旦話しを戻すが、冒頭で述べた通り、手塚治虫は「胃癌」で亡くなっている。
ただし、最期まで本人には「胃潰瘍」と説明されており、「胃癌」だとは知らされていなかったという。


そう、知らされていないまま逝ったのだ。


それを踏まえて、次の場面を見て欲しい。




         


お気づきだろうか?

そうなのである。
坂根第造は、胃癌が原因で亡くなっている。
そして、本人には最期まで胃癌ではなく、胃潰瘍と説明されたままで。


更には、医師から親族に告げられた「せいぜい3ヶ月・・・長くて4ヶ月というところです。」という余命も
この当時の、手塚治虫と全く一致しているのである。

癌である事を最期まで本人には告げていないということは、実の息子である手塚眞氏も語っているため
間違いないはずなのに、自身の置かれた境遇と完全にリンクしているこの人物を登場させることで
手塚治虫は、親族、関係者、そして我々に何かを訴えたかったのかもしれない。

ただ、その真相も今となっては
天国で今も漫画を書き続けている手塚治虫自身に確認するしかないのであるが・・・


そんな秀逸なストーリーや、メッセージ性の強いキャラクター達が織り成す物語も
完結する事なく、第二部の第2話を書き終えたところで、絶筆という形で唐突に終わりを告げてしまう。

そこで、次に紹介するのが手塚治虫が生涯最期に残した本作『ネオ・ファウスト』の原稿である。




手塚治虫 生涯最期の原稿
手塚治虫、生涯最期の原稿


掲載誌である『朝日ジャーナル』では、第二部が開始され
その後2話分までしか掲載される事なく絶筆となっている。この原稿は第3話のネーム段階のものだ。

この生涯最期のネームは『手塚治虫漫画全集版』『朝日文庫版』で確認することが出来る。
(他の出版社で発売されたものにも収録されているかは未確認です)。

このネーム段階のものは、合計で7ページ収録されている。
最初は下絵も入っており、セリフもしっかりとした文字で書かれているが、ページが進むにつれて
文字だけになり、それもページが進むにつれて殴り書きのようになっていき、読むのも困難となっていく。

そして画像にあるのが、その最後の1ページなのである。

『誰なんだ』という意味深なセリフで終わっており
この先の展開がさらに広がっていくことを想像させる一言であるだけに、続きが読めないのが残念で仕方ない・・・


医者や家族の制止を振り切り、病院のベットでも漫画を書き続けた手塚治虫は、骨転移による癌の痛みに対しても
痛み止めのモルヒネを打ちながらも、最後の最期までこの作品の完成にこだわり、執筆を続けていたという。

ベッドの上で意識が朦朧とする中で原稿を書き続け、意識が戻ったら鉛筆を握り、再び意識を失う。
そしてまた意識が戻ったら・・・を繰り返しており、手塚治虫が生涯最期に発した言葉が
『頼むから仕事をさせてくれ』という一言だったことは、有名なエピソードであろう。


最後の瞬間まで漫画家であり続け、文字通り「命をかけて」書き上げた
手塚治虫の生涯最期の作品にして最高傑作である『ネオ・ファウスト』。

手塚治虫ファンだけではなく、漫画好きな人全てに読んでもらいたい作品である。



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